メイショウサムソンの軌跡 世代の頂点に上り詰めたド根性スターホース / 名馬列伝

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 当記事では2006年のクラシック二冠および2007年天皇賞春秋連覇を達成したメイショウサムソンについて記載する。

メイショウサムソンの引退式の様子(c)netkeiba
メイショウサムソンの引退式の様子(c)netkeiba
  1. 【概要】メイショウサムソンとは
  2. 【2-3歳】クラシック二冠達成
  3. 【4歳春】天皇賞(春)制覇
  4. 【4歳秋】天皇賞春秋連覇
  5. 【5歳】ラストイヤー・凱旋門賞挑戦
  6. 現役時代のライバル馬
  7. 種牡馬として
  8. 関連情報
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【概要】メイショウサムソンとは

 メイショウサムソンは日本の競走馬・種牡馬。父オペラハウス、母マイヴィヴィアン、母の父ダンシングブレーヴという血統。2006年の皐月賞日本ダービーを勝利してクラシック二冠を達成し、JRA最優秀3歳牡馬に輝いた。翌2007年には天皇賞(春)天皇賞(秋)を勝利し、天皇賞春秋同一年連覇を飾るなど活躍した。

 4代母のガーネツトは1959年の天皇賞・有馬記念覇者である。

 小倉競馬場でデビューした競走馬として史上初めて日本ダービーを制した競走馬でもある。また、天皇賞春秋連覇はタマモクロススペシャルウィークテイエムオペラオーに次いで史上4頭目の快挙だった。

【2-3歳】クラシック二冠達成

 2005年7月に小倉競馬場でデビューしたメイショウサムソンは、2歳時に7戦3勝の成績を上げた。東京スポーツ杯2歳ステークスではのちの2歳王者フサイチリシャールの2着、3歳始動戦となったきさらぎ賞ではドリームパスポートに差し切られて2着となったが、続くスプリングステークスで上記2頭との接戦を制し、リベンジを果たすかたちで重賞初制覇を挙げる。

 迎えたクラシック第一戦・皐月賞では単勝6番人気の伏兵評価だった。注目されていたのは重賞3勝を含む6戦5勝(2着1回)の安定した成績を誇っていたアドマイヤムーン。続いて無傷4連勝でクラシックに臨んだフサイチジャンク、3番人気は2歳王者フサイチリシャールだった。

 レースでは中団から徐々にポジションを上げ、フサイチリシャールが4角先頭に立ったタイミングでスパート。外目から抜け出し、追い上げたドリームパスポートを勝負根性で抑えてG1初制覇を飾った。鞍上の石橋守騎手はG1初勝利だった。

皐月賞制覇時のメイショウサムソン(撮影:下野雄規)
皐月賞制覇時のメイショウサムソン(撮影:下野雄規)

 続く日本ダービーでは、皐月賞のパフォーマンスにより評価を覆し単勝1番人気に支持された。レースでは精密なラップでの逃げを武器とするアドマイヤメインが1000mを62秒5で通過するゆったりとした流れを構築。直線でもアドマイヤメインがしぶとく粘り込みを図ったが、残り1ハロンでメイショウサムソンがクビ差差し切り、前年のディープインパクトに続くクラシック二冠を達成した。

日本ダービー制覇時のメイショウサムソン(撮影:下野雄規)
日本ダービー制覇時のメイショウサムソン(撮影:下野雄規)

 二冠達成後、在厩で調整を施されて秋へ向かった。始動戦の神戸新聞杯では再びドリームパスポートに屈し2着。菊花賞ではソングオブウインドドリームパスポートがレコードで駆け抜けるなか4着入線。続くジャパンカップで6着、有馬記念で5着となり、3歳シーズンを終えた。

【4歳春】天皇賞(春)制覇

 古馬始動戦となった大阪杯(当時はG2)で10ヶ月ぶりの勝利を果たし、迎えた天皇賞(春)。レースにはステイヤーズステークス阪神大賞典を連勝していたアイポッパーや、前年のメルボルンカップで歴史的な勝利を飾ったデルタブルース、後に長距離重賞の常連となるトウカイトリックなどが揃っていた。

 レース本番、じっくりと中団で脚を溜めたメイショウサムソンは、勝負所で早めに仕掛け、4コーナーでトウショウナイトを捉えて押し切りを図る。そこに遅れてスパートをかけた伏兵エリモエクスパイアが迫り、ハナ差で入線。わずかにメイショウサムソンが先着しており、G1・3勝目を飾った。

天皇賞(春)制覇時のメイショウサムソン(c)netkeiba
天皇賞(春)制覇時のメイショウサムソン(c)netkeiba

【4歳秋】天皇賞春秋連覇

 その後、ファン投票1位で宝塚記念に出走。同年の日本ダービーを制した3歳牝馬ウオッカに注目が集まるなか2番人気に支持された。レースでは一度先頭に立ったものの、後方から追い上げた同期の海外G1馬アドマイヤムーンにかわされて2着となる。

 その後凱旋門賞への遠征が計画されたが、馬インフルエンザに感染したことでこれを断念。国内に専念し、秋の古馬G1路線へと向かった。

 直行ローテで迎えた天皇賞(秋)では、アドマイヤムーンダイワメジャーポップロックなどの強豪馬を抑えて単勝1番人気に支持された。

 レースでは終始、好位置のインコースで脚を溜め、最終直線でコスモバルクエイシンデピュティを起点とする進路妨害で手をこまねく後続を悠々と抑えて優勝。史上4頭目となる天皇賞春秋連覇を達成した。

天皇賞(秋)制覇時のメイショウサムソン(撮影:下野雄規)
天皇賞(秋)制覇時のメイショウサムソン(撮影:下野雄規)

【5歳】ラストイヤー・凱旋門賞挑戦

 年初、松本オーナーが2008年内の引退を表明。同年のドバイシーマクラシックに登録したが、輸送に時間のかかるシンガポール経由の航空便しか出ておらず、十分に調教の詰めない京都競馬場での出国検疫がネックとなりこれを断念した。

 国内に照準を定めたメイショウサムソン天皇賞(春)で2着、宝塚記念で2着に好走。秋には凱旋門賞に参戦した(10着)。

 その後、帰国初戦となったジャパンカップで6着(天皇賞(秋)には登録のみおこない、のちに回避)、続く有馬記念で8着となり、これをラストランとしてターフを去った。

 2009年1月4日に京都競馬場で引退式がこなわれ、同年1月7日付でJRAの競走馬登録を抹消された。

現役時代のライバル馬

 メイショウサムソンは5歳12月まで現役生活を送り、大きな故障もなく大レースに出走を続けた。2007年の天皇賞(秋)が最後の勝利となったが、翌2008年の天皇賞(春)アドマイヤジュピタの2着、続く宝塚記念ではエイシンデピュティの2着と、ダービー馬としての存在感を示し続けた。

種牡馬として

 引退後は北海道の社台スタリオンステーションで種牡馬となり、2012年に初年度産駒がデビューした。その後、2014年からは生まれ故郷のイーストスタッドで供用され、2021年に種牡馬を引退。その後は引退馬協会に譲渡され、余生を過ごしている。

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