サクラローレルの軌跡 苦難を乗り越えた大輪の桜/名馬列伝

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 1996年の天皇賞(春)有馬記念を制し、同年のJRA賞年度代表馬に輝いた名馬サクラローレル。脚部不安や骨折を乗り越え同世代の英雄ナリタブライアンを下し、凱旋門賞で世界一を目指した「遅咲きの桜」の軌跡を振り返る。

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1996年有馬記念制覇時のサクラローレル(撮影:下野雄規)
  1. 【概要】サクラローレルとは
  2. ダービートライアル
  3. 度重なる故障
  4. 衝撃の復帰、そして春へ
  5. 年度代表馬受賞、凱旋門賞への挑戦
  6. 現役時代のライバル馬
  7. 引退後、種牡馬として
  8. 関連情報
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【概要】サクラローレルとは

 サクラローレル父Rainbow Quest、母ローラローラ、母の父Saint Cyrien。母はフランスで生産された競走馬であり、現地でレインボウクエストを受胎した状態で輸入され、日本で産まれたのがサクラローレルである。このためサクラローレルは「持ち込み馬」に種別される。

 生誕当初から活躍を期待されていたが、同時に体質面に課題を抱えており、デビューも旧4歳1月と遅かった。また球節の炎症や骨折などが重なり、順風満帆な競走生活とはいかなかったものの、他馬を飲み込むような鋭い末脚に代表される高い競走能力と厩舎の人力により本格化。旧6歳時に同期の三冠馬ナリタブライアンを下して天皇賞(春)を制覇、同年の有馬記念で強敵を下しG1・2勝目を挙げた。

 凱旋門賞出走のために前哨戦に出走。しかしレース中に重度の故障を負い、陣営の悲願は果たせないまま現地で引退が決定。日本に帰国後、引退式が行われた。

ダービートライアルへ

 脚部の不安を抱えながら旧4歳時の1月にデビューを迎え、3戦目の未勝利戦で初勝利。3月の500万下条件戦では、後にG1戦線で活躍するタイキブリザードとの対決で2着となり、同月に通算2勝目を挙げた。

 1994年4月30日に行われたダービートライアル・青葉賞に出走。レースを制したのはエアダブリン。半弟にダンスインザダーク、半妹にダンスパートナーダンスインザムードがいる良血馬で、後に長距離戦線で活躍する名ステイヤーだった。サクラローレルは抜け出したエアダブリンと追い込んだノーザンポラリスに次いで、インコースを駆け上がり3着入線。日本ダービー出走の権利を手にした。しかし本番の出走は断念し、休養に入った。

度重なる故障

 青葉賞出走から4ヶ月後、900万下条件戦で復帰。二度の2着を経て、同年11月の比良山特別(900万下)を勝利。続く12月の冬至ステークス(1500万下)を制し、オープン入りを果たした。なお、この2戦はG1に出走するサクラバクシンオーに帯同していた。

 オープン入りまもなく、年明けの金杯に出走。後に天皇賞(秋)を制するオフサイドトラップが1番人気に支持されるなか2番人気となり、レースでは後方から早めに仕掛け、最終直線で後続の追撃を振り切って重賞初制覇を果たした。続いて目黒記念(当時は2月開催)に出走。単勝1.5倍の圧倒的支持を受けてレースに臨んだが、ハギノリアルキングとの競り合いの末に2着となった。

 その後、天皇賞(春)に向けて調整されていたが、調教中に骨折。競走馬としての現役生活はおろか命に関わるほどの重篤な故障だったが、現役を続行。陣営の懸命なケアによって、翌年3月の中山記念で復帰を果たすこととなる。

衝撃の復帰、そして春へ

 中384日での重賞出走となった中山記念では、前年の皐月賞ジェニュインをはじめとする強豪馬が揃うなか9番人気となった。しかし、レースでは馬群後方から目の覚めるような末脚を繰り出して他馬を差し切り、ジェニュインに1.3/4馬身差をつけて重賞2勝目を挙げる。

 そして迎えた大一番、天皇賞(春)では、前走で劇的な復活を遂げたナリタブライアンが単勝1.7倍の1番人気。続いて前年の年度代表馬マヤノトップガンが2番人気となり、二強対決の様相を呈していた。レース本番、先頭で最終コーナーを迎えたマヤノトップガンナリタブライアンが捉え切り、独走体制に入るなか、さらに外からサクラローレルが上がり最速の末脚でナリタブライアンを差し切り、2馬身半差をつけてG1初制覇を果たした。

年度代表馬受賞、凱旋門賞への挑戦

 宝塚記念を見送って夏を越えたサクラローレルは、秋の始動戦となったオールカマーで再びマヤノトップガン以下を下して快勝。続く天皇賞(秋)では単勝1番人気に支持されるも、直線で進路が確保できず旧4歳馬バブルガムフェローの3着となった。

 その後、有馬記念に出走したサクラローレルは再び単勝1番人気に支持される。マヤノトップガンマーベラスサンデーファビラスラフインヒシアマゾンなど強豪が揃うなか、レースでは抜け出したマーベラスサンデーを切れ味鋭い末脚で捉え、グランプリ制覇。この実績により、同年の年度代表馬を受賞した。

 翌年の天皇賞(春)では連覇が期待されたものの、最終直線で画面外から異次元の追込を見せたマヤノトップガンに差し切られて2着。その後、凱旋門賞出走のためフランスへ渡った。武豊騎手を鞍上に迎えて前哨戦のフォワ賞に出走したが、最終直線で後退し、そのまま下馬。後の検査で右前脚屈腱不全断裂が判明し、現地で競走馬生活にピリオドを打つこととなった。

現役時代のライバル馬

引退後、種牡馬として

 現役引退後は北海道の静内スタリオンステーションで種牡馬となり、のちにアロースタッド、新和牧場へと移動。2012年に種牡馬を引退し、2020年1月24日に老衰のためこの世を去った。

 主な代表産駒はローマンエンパイアサクラセンチュリー。また母の父として2018年のJBCクラシックなどJpn1を3勝したケイティブレイブを送り出している。

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