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【芦毛まとめ】日本競馬を彩ってきた芦毛馬の歴史

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その毛色から神秘的である一方、どこか個性的で身近に感じる芦毛馬。日本競馬を彩ってきた芦毛馬に焦点を当て、ファンを魅了する理由を考えてみたい。まずは、競馬評論家・ライターの須田鷹雄氏が芦毛馬の歴史を振り返る。(文=須田鷹雄)

タマモクロスとオグリキャップ

▲タマモクロスとオグリキャップ。1988年天皇賞秋は芦毛の名馬の激突に沸いた(写真:JRA)

 私が競馬を見はじめた1980年代前半には、芦毛の馬が天下を取るということはあまりイメージできなかった。  もちろん、それまでにも芦毛の馬が八大競走を勝ったことはあった。後にメジロマックイーンでの天皇賞3代制覇へとつながるメジロアサマメジロティターンの親子などは、オールドファンからすぐに名前が出るところだろう。

メジロアサマ

▲1970年天皇賞秋を制したメジロアサマ。当時の秋天は芝3200mで行われていた(写真:JRA)

 しかしどちらかというと芦毛馬といえばバイプレイヤー的な存在であったり、そのキャラクターでファンを惹きつけることのほうが多かったように思う。寺山修司の書くエッセイに芦毛馬が多く登場したことも影響していたかもしれない。ハクセツ、ジョセツの姉妹などもそうだし、なんといっても「白い逃亡者」ホワイトフォンテンは寺山ワールドを代表する登場馬だった。

ホワイトフォンテン

▲1976年のアメリカJCCで9頭立て8番人気ながら鮮やかな逃げ切り勝ちを見せたホワイトフォンテン(写真:JRA)

 寺山の没後も個性派の芦毛馬は登場しつづけた。私のペンネームのもとになったスダホークもその1頭だろう。ついにGIは勝てなかったが、GIIの勝利やGIの出走数を積み重ね、人々の記憶に残る馬にはなった。

スダホーク

▲記憶に残る芦毛の名脇役スダホーク(写真:JRA)

ジュサブロー

▲地方馬ながらオールカマーを制したジュサブロー(写真:JRA)

 ジュサブローも忘れられない芦毛馬だ。まだ中央と地方の交流がほどんと無かった時代、交流重賞となったオールカマーを1986年に勝った馬である。名古屋の所属馬(のちに中央転入)が中央の芝GIIを勝ったというのは、いまのファンにはイメージできないかもしれない。もちろん当時においても偉業であり、名古屋競馬場の食堂には「ジュサブロー定食」という名前の定食が作られたほどだ。

芦毛に新時代をもたらした2頭のスーパーホース

 そしてついに、芦毛が天下を取る時代がやってきた。昭和の終わりから平成のはじめにかけてだ。

 この時期にもバイプレイヤータイプの芦毛馬はもちろんいた。1989年にオープン特別→GIII→GII→GIと連続3着を重ねたホクトヘリオスなどはその一例だろう。ただ競馬の王道、しかもそのど真ん中を芦毛馬が走る時代が来たのである。

 新時代をもたらしたのがタマモクロスオグリキャップだ。タマモクロスは晩成だったが連勝で一気にGIまで上り詰め、オグリキャップは笠松から転入して連勝を重ねた。

 この2頭がはじめて対峙した1988年の天皇賞秋は、いま思い出しても心躍る一戦だ。名馬どうしの一騎討ちは先に直線へ向いた馬がそのまま抜かせず先着する。そんな言い伝えの通り、タマモクロスが好位から押し切り初対決ではオグリキャップを完封。しかしオグリキャップは2走後の有馬記念で引退していくタマモクロスにリベンジを果たし、のちには自身の力で空前の競馬ブームを作っていった。1994年には半妹のオグリローマンも笠松からの転入で桜花賞を制している。

 面白いもので、一度芦毛の名馬が出始めると次々にGIクラスの芦毛が出てくるものである。タマモクロスやオグリキャップが出走できなかった日本ダービーを、1989年にはウィナーズサークルが制覇。やはりダービーのタイトルというのは重いもので、いよいよ時代が変わってきたと感じさせられたものだ。

 この時期を境に、芦毛だからGIは勝てないとか、そのような言われ方をすることはなくなったように思う。数えてみたら、平成以降にJRAのGIに優勝した芦毛馬は、既に名前の出た馬を含めて26頭もいた。

 活躍したジャンルもさまざまで、メジロマックイーン、ビワハヤヒデ、ゴールドシップといった中長距離の王者もいれば、アドマイヤコジーン、カレンチャン、レッドファルクスといった短距離馬もいる。クロフネは最後、ダートで大きなインパクトを残した。現役ではノームコア、クロノジェネシスと牝馬が頑張っている。

 今後芦毛の活躍馬が増えていくかどうかは輸入種牡馬の動向などを見ないとなんとも言えないが、個性と強さを両立する馬に出てきてほしいものである。

 最後に、個人的に思い出に残る芦毛馬を挙げさせていただきたい。

カレンチャン

▲スプリントGI2勝を挙げたカレンチャン。生後まもないカレンモエと(写真提供:須田鷹雄氏)

 もちろんペンネームにしたほど好きだったスダホークや、購買から関わらせていただいてGIまで連れて行ってもらったカレンチャンは忘れられない馬である。しかしそれとは別に本当に私的な思い出の1頭ということでロンスパークを挙げたい。東京競馬場で放馬止めのアルバイトをしていた頃、誘導馬としてよく顔を合わせていたのが「ロン」ことロンスパーク。本当に穏やかな馬で、癒される存在だった。個人的には誘導馬の理想像と言えばいまでもロンスパークだ。

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