7月19日から全国で公開中の映画『ライド・ライク・ア・ガール』。オーストラリア競馬界最高峰のレース・メルボルンカップを初めて制した女性騎手の半生を描いています。今回はそのモデルとなったミシェル・ペイン騎手にお話をおうかがいしました。
前編となる今回は、競馬一家に生まれたミシェル騎手の生い立ちを振り返ります。2009年にはメルボルンカップ初騎乗を果たすミシェル騎手ですが、そこに至るまでには女性騎手ならではの苦労と大きな挫折を乗り越えていました。(取材・文:川上鉱介)
※このインタビューは電話取材で実施しました。
――本日はよろしくお願いします。まずはミシェル騎手の生い立ちについてお伺いします。お父さんが調教師であり、兄姉のほとんどが騎手という競馬一家に生まれたミシェル騎手。幼少期はどんな女の子だったのでしょうか?
ミシェル とにかく頑固で意志の強い子供でしたね。10人兄弟の末っ子で、私達の家族では人に頼らず自分のことは自分でしなければならなかったので人に甘えることは出来なかったんです。
――そもそも騎手を目指すきっかけはなんだったんでしょうか?
ミシェル 6歳の時に兄のパトリックが乗るメルボルンカップを初めて観たその時から、レースの大きさと華やかな雰囲気に感動し、メルボルンカップの虜になりました。その時からずっとジョッキーになってこのレースを勝つと強く心に決めていました。
――幼少期のミシェル騎手が「メルボルンカップを勝ちたい」と答えているシーンもありましたね。
ミシェル そうですね。オーストラリアでは、メルボルンカップの日は小学校でも授業を中断してみんなでカップスイープ(くじ引きで自分の馬を決めて1~3着とビリの馬のチケットを持っていた人が賞金又は賞品を獲得するゲーム)をして観戦するほど国民的なイベントなんです。それほどメルボルンカップは特別なレースなんです。
女性初のメルボルンカップ優勝ジョッキーとなったミシェル・ペイン(写真:本人提供)
――お兄さんやお姉さんも先に騎手デビューしていて、なかでも兄・パトリック騎手は豪州や香港でもリーディングを獲得するほどの活躍ぶり。騎手として活躍する兄姉をどう見ていましたか?
ミシェル 兄のパトリックは私が物心つく前から騎手だったのですが、とにかく兄の騎乗は一生懸命観ていたのを覚えています。普段から兄の一挙手一投足を見ていましたし、兄が大レースに乗る前は自分も一緒になって緊張して、興奮したのを覚えています。
もちろんパトリック以外の兄や姉のレースも全てチェックして、これは見習おう、これは気を付けようと、常に自分が騎手になったつもりで観戦していました。幼少時代からとにかく競馬の魅力に取り憑かれていて、騎手になることだけを考えていたんですよね。
奈落の底に突き落とされた感覚
――そして念願の騎手デビューを果たすことに。
ミシェル はい、15歳でアプレンティス(見習い騎手)になりました。私がデビューしたとき、父は2頭しか管理していませんでしたが、初めてレースで騎乗したのがそのうちの1頭のレイニングという馬でした。そのレイニングとともに初勝利を挙げるという、夢のようなスタートを切れました。
――愛娘のデビューに合わせて力のある馬を用意してくれていたんですね。
ミシェル いえ、父の馬で勝利を挙げられたことはとても嬉しかったのですが、実は父が管理し始めてからそれまでは全く良いところがなかったんです。
それが、私が乗るレースの直前から急に調子が良くなって、見事に勝ってくれました。ただ、その後も二度と勝つことがなく私のデビューの時だけ素晴らしい走りを見せてくれた、本当に不思議な馬でしたね。
――その後大きなチャンスを求めて父の元を飛び出すことになりましたが、不遇な扱いを受けるミシェル騎手の姿が描かれていました。当時はやはり女性騎手にとって厳しい世界だったのでしょうか?
ミシェル 父の元にいるときはわからなかったのですが...もっと見る