最後まで多くの人々に愛された。50年余りのホースマン生活に終止符を打った中野調教師は、「18歳に(騎手)デビューして、競馬人生ってあっという間でしたね」と、穏やかな笑顔で振り返った。中山7R終了後に行われた花束贈呈式では、集まった関係者から期せずして「ナカノ・コール」が起こり、騎手時代の90年に日本ダービーをアイネスフウジンで逃げ切った記憶がよみがえった。 調教師としてのラストデーは、最初の中山2Rをイーサンハンターで制して、手綱を執った武豊がゴール後に左手でガッツポーズをつくった。「調教師席に向かってやりました。(定年解散の)中野厩舎に乗るということでプレッシャーはありました」とレジェンドが言えば…