若駒時代は芝で活躍し、凱旋門賞にも挑戦したクリンチャーが、ダートの初タイトルを獲得したのが20年のみやこSだった。芝の重賞ウイナーが新天地で輝きを放った一戦を振り返る。 クリンチャーは父ディープスカイ、母ザフェイツ、母の父ブライアンズタイムの血統。3歳時はクラシックに皆勤し、菊花賞でキセキの2着に健闘。4歳時に京都記念で重賞初制覇を果たすと、凱旋門賞(17着)にも参戦した。しかし、帰国後は不甲斐ないレースが続く。そこで陣営は思い切った決断を下した。6歳を迎えてダートに路線変更したのだ。初戦の仁川Sで2着とメドを立てると、その後も2着、3着、2着、2着、4着と善戦を続ける。一方で詰めが甘いイメージも拭えない中…