活躍した期間は短い。しかし、見る者がまぶしさを感じるような輝きを放った。それがメイショウボーラーだった。05年フェブラリーSを1分34秒7のレコード(当時)で逃げ切り。そのレースぶりはとてつもなかった。 その前に、フェブラリーSに出走するまでの歩みを振り返りたい。小倉でデビューし、新馬、フェニックス賞、小倉2歳SをV。デイリー杯2歳Sも2馬身差完勝して4連勝。だが、1番人気に推された朝日杯FSで首差2着に敗れると、にわかに雲行きが怪しくなった。 父はタイキシャトル。クラシックに向かっても距離に不安がありそうだった。弥生賞2着、皐月賞3着。ダービーには向かわずNHKマイルC3着、安田記念11着。もどかしい結果が続き、古…