いつの間にか、風が止まっている。 海に向かってゆるやかに傾斜する放牧地に立った杉下将馬は、あたりを見回し、首をかしげた。 まだ夕凪になる時刻ではないのだが、海風に運ばれてくる潮の香りが薄らいでいる。海岸通りを走るクルマのエンジン音や漁港のざわめきが、いつもより遠くから聞こえるような気がした。 2011年3月11日、午後2時半を回ったところだった。 「おーい、どうしたあ?」 将馬は放牧地にいる3頭の繁殖牝馬に声をかけた。3頭とも厩舎に近い牧柵のところにいて、こちらを見ている。こんな時間に馬房に戻りたがるなど珍しい。 福島県南相馬市小高区、杉下ファーム。これら3頭の繁殖牝馬がいるだけの、小さなサ…